USAツアー報告

さて、やっと少し気持ちが落ち着いて書くことができるようになってきました。 もう戻ってきてから一ヶ月がたちましたが、 4月半ばから5月いっぱいにかけて、 Imari Tones(伊万里音色)、 3度目となるアメリカ遠征に行ってきました。 おかげさまで、 ツアーは願ってもないくらいの成功でした。 ナッシュビルでのショウケース、各教会でのライヴ、そして各地のバーやクラブでの演奏、どれもこれ以上ないくらいに成功しました。 ナッシュビルで行われたショウケースでは、いくつものクリスチャンのバンドが集まって演奏する中で、最大の評価と賛辞をいただいて、大いに盛り上がりました。(日本から来たというものめずらしさのアドバンテージもあったと思います) クラブでの演奏は、どれも小さなバーなどの会場ですが、昨年、または一昨年に見に来てくれたお客さんが、何人もまた来てくれたり、非常に手ごたえのある演奏ができました。各地で支えてくれた人たちに、本当にお礼を言いたいです。 このツアーを計画しているときから、 これが終わったらどうなるだろうと 思っていましたが、 今の気分としては、 「天井がなくなったような気分」 です。 まるで、小さな部屋の中にいたのが、突然その天井がなくなって、広々とした青い空が見えているような、そんな状態。 それまでそこにあった古い限界が突然なくなって、そこからちょこっと顔を出している状態。 ブレイクスルー、壁を破るというのは、こういうことなんだろうと、思い、 これこそが今回のツアーの成功によって、一番大きな成果なのだと、僕は思っています。 逆に言えば、今まであった壁がなくなって、より大きな新しい世界が広がっているぶん、これからは、そのより大きな世界に踏み出して、長い長い道のりを歩いていかなくちゃいけない、そんなことを感じています。 それは、気が遠くなるようですが、同時にうれしいことでもあると思います。 これからやらなければいけないことに話題を変えましょう。 ツアーの最後に、ナッシュビルで行われたクリスチャンミュージックのコンベション、The Objectiveに参加しました。 僕たちにとって、本格的なクリスチャンミュージックのイベントに参加することは初めての経験でしたが、このイベントを主催しているThe Extreme Tourの人々が、本当に素晴らしかった。 彼らは本当にクリスチャンミュージックの業界における良心として、これからのミュージシャンが進むべき道を共に模索し、道を指し示していると思います。 ですから、今回は参加できませんでしたが、彼らが行っているThe Extreme Tourにも、ぜひいつか、参加したいものです。 そして、彼らが行っているアウトリーチにも感銘を受けました。 音楽の力、祈りの力、それらがもたらす癒しの力を、僕は信じています。 ですから、僕はこういったアウトリーチを、日本でもやりたい、と強く思うようになりました。 もちろん、条件や土壌の違う日本では、少し違う形になるかもしれませんが。 昨年2010年のアメリカ東海岸遠征の際、僕は祈りました。日本を変えたい、と。 それは自分にとっても大きな発見でした。 そして2011年になり、今僕たちは、日本が変わっていくことを知っています。しかし、その代償はとても大きかった。 ですから、このツアー中の僕の祈りはこうでした。 日本に奇跡が起こるのを見たい。 僕はまだ奇跡を信じている。 僕は、今、神が僕たちの祈りに応えてくれるということを知っています。 ですから、まずは、僕たち自身が、その奇跡にならなければいけないのです。 ここに、これから僕たちが行うべきことを書いておきたいと思います。 まず最初はビジネス的、事務的なことですが、 ひとつには業界人へのコンタクト ナッシュビルのコンベンションThe Objectiveにて、 …

伊万里音色 IMARi ToNES “That’s why i love you”

ひさしぶりのラヴレターです。 またも、「光のヒーロー」からになります。 あのときは、それまでやりたかった曲を、たくさんやったからね。 It’s been a while since my last “love letter”. Again it’s a song from “Hero Of The Lights”, recorded in 2004-2005. このThat’s why i love youは、バックグラウンドストーリーというか、いわくつきの曲で、 この曲を書いたのは、もう今からするとはるか昔だけれど、1998年。 そのとき、かのVan Halenが、Extremeのゲイリー・シェローンをヴォーカリストに迎えて、問題作「Van Halen 3」をリリースしようとしていた。 This song “That’s why i love you” has some funny background story. It was written back …

伊万里音色のラブレター

話が、大風呂敷かつ、遠回りに、長くなることを、最初に謝っておきます。 また、読んで反発や、不快に思ったら、すみません、あらかじめ謝っておきます。 でも、それで嫌いになっていただいても、まったくかまいません。 これは僕の本気のラブレターだからです。 僕がこの伊万里音色 (Imari Tones)という不思議な名前のプロジェクトを始めたのは、 最初の起源からいえば、もうずっと昔のことです。10年以上前です。 始めた理由は、他にやれることがなかったからです。 他の選択肢がなくなってしまったからです。 僕はミュージシャンになることは否定していた少年でした。 僕が少年時代、弁護士ないし検事を目指していたことは、親しい友人なら知っていると思います。 時代的には、 90年代の後半に、進化していった、デジタルレコーディングやコンピュータを利用したレコーディングが、個人レベルでの録音環境を変えていったこと、 それから、21世紀に入って、ショウビジネスとしてのロックがあらゆる意味で縮小していった背景と重なります。 高校を出て以来、いろいろあってちょいとばかし、精神的に不安定だった私が、実家の音楽室に自作PCを組み上げて、録音作業を始めたのが、実に1998年のことで、 ちなみにImari Tonesという名前が頭に浮かんだのが、翌年の1999年のことでした。 変な名前だと思いましたが、もっと洒落た名前を付けたいと思いましたが、たとえバンド活動に不利であっても、それを使わなくてはいけない、と思いました。 (そして、実際にバンドが形になったのは2004年の事です) それ以来、10年、11年が経過したわけですが、 Worldly、現実的に見れば、 別段成功もしていないわけですが、 それでも、スタート地点を思えば、とても遠くまで発展することができましたが、 その道程は、とても祝福されたものでした。 そして、はたから見れば、僕らは今もまだ、成功の階段をゆっくり登っている途中の状態に見えるかもしれませんが、 芸術家(のはしくれ)としての、 僕の本心からしてみれば、 僕はもうとっくに、自分のやるべきことを、「成し遂げて」います。 具体的に言えば、 それは、自分、自分たちだけで録音制作をした、 自主制作10枚の旅路です。 1998年から、2005年にわたって、制作をした、 10枚の自主制作作品、 それこそが、伊万里音色(ImariTones)の、 もっとも本質といえる作品です。 僕がロックを始めたのは、 他でもなく、少年時代、 このロックという精神哲学のポジティヴなエナジーによって、 世界の人類の精神を救うことができる、 と感じたからでした。 それは、ロックをやる人間は、皆、そうだと思うのですが、 しかし現実には、 ロックはまだそれに成功していないと僕は思います。 僕が思うには、 60年代にその基を築き、 70年代を見事に発展させ、 80年代にそれを身近なレベルにまで応用することに成功したロックというムーヴメントはしかし、 本来の目的である最後の一撃をいまだに放つことができず、 それ以上先に進むことができずにいます。 …

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