“Overture” from Rehearsal Room

Just before the launch of “Jesus Wind” album, this could be a bit of distraction but here.
 
Our next project (after “Jesus Wind) is called “Overture”.
It will be All Japanese album. (I mean, the lyrics.)
It’s been quite a long time since we did All Japanese album last time.
Here is a rehearsal footage from some rehearsal place in Yokohama.
This song is called “Overture”. It’s a song about how difficult it is, and how precious it is, to genuinely believe.
 
“Jesus Wind”に続く伊万里音色の次のプロジェクトは”Overture”、そしてそれは全曲日本語のアルバムになります。全部日本語のアルバムを作るのは本当に久しぶりです。今の僕たちならではの日本語のクリスチャンロックを鳴らします。
リハーサルスタジオよりこれは練習風景です。
この曲はタイトルトラックになる予定の”Overture”ですが、信じることのかけがえのなさ、そして信じることの難しさを、思い切りかっこつけて歌ってみた楽曲です。
歌詞間違えてますが(笑)
 
 
 
 
 
[楽曲に添えて。手紙。]
 
自分のことをうまく伝えられないと思うことがある。
そんでもって自分の言いたいことをうまく伝えられない、と感じることが最近とても多い。
そんな時に、音楽というものがとても貴重に思える。
よく、言葉で伝えるよりも、音楽で伝える方が早い、なんていうけれど、そんなばかな、って思っていたこともあるけれど、今となってはそれは本当に普通に本当だと思ったりもする。
 
人と人が何かを伝え合うことはとても難しいことなので、だからこそ、人は手紙を書いたり、物語を書いたりする。小説でも書くのであれば、あるいは詩のひとつでも書くのであれば、確かに言葉で伝えることが出来るかもしれない。だからこうしてばかみたいな思索を書いて誰ともなく伝えようとするのであるが、バンドやってたりする人、音楽家なんて言わなくとも、であれば、それはやっぱり音楽に付随するキャプションに過ぎない。
 
 
 
人の期待に応えられない、と感じることがある。
特にこの数年、僕たちのバンドは、周囲の皆さんの「期待」みたいなものに、きちんと応えることが出来なかった。そう感じている。
 
僕は、僕たちは、これまでも、人々の期待にちゃんと応えてくることが出来たとは言い難い。むしろ、皆さんの期待を裏切りまくっていると思う。それはわかっている。けれども、そんな僕自身が、誰よりそのことをとても歯がゆく思っている。僕が来年にかけてバンドの体制の再構築を考えているのはバンドの到達地点である「鍋島」に向き合うとともに、それに合わせて、今度こそ、そんな皆の、期待に、もっと応えることが出来るように、そんな思いだ。
 
けれども、たとえ、人々の期待に応えてくることが今まで出来なかったとしても、ひとつだけ、期待を裏切らずに向き合ってこれたものがある。それは音楽だ。音楽、音そのものに向き合い、創作し、作品を作り、その作品世界を深めて、前に進む。そのことだけは、きっと神が課した宿題に、そこだけはきちんと応えてきたと思う。だからこそ、人生のこの段階で、究極の最終到達地点とも言える「鍋島」を射程距離に収めることが出来た。
 
インディーバンドの分際でこういうことを言うのはフェアではないとわかっているが、僕たちは創作においては、決して人に負けない速度で走ってきた。
共に活動をしている仲間や、以前から見守ってくださる方々は、きっと気付いていると思う。インターネット上のメディアを通じて僕たちの音楽に触れてくれる世界のいろんなところの「キッズ」(と呼びたい)は言わずもがなだろう。そして、僕は誰よりそんな、見も知らない、あるいは時代さえも違うかもしれないそんな遠い誰かの期待に応えたい。それは同時に、もっとも遠く、同時にもっとも近くにいる存在である神の期待「だけ」には応えたい、というフォーカスでもある。優先事項、重点事項があるとすればそれだ。
 
つまり、僕らみたいなライヴ演奏の機会の少ない出不精のインディーバンドであっても、うちのバンドは、演奏する曲目が、まったく一定していない。毎回少しずつ変わる、どころか、毎回まったく違うのはきっと皆さん知っているだろう。それはきっと、音楽的に僕が欲張り過ぎるだけなのだ。いまどき、そんな贅沢は、ワールドツアーをやって2時間のコンサートをするレジェンダリーバンドでもやれないことだ。(それはもちろん、ベテランバンドほど、昔の曲しかやれないからだ。) だけれども、音を鳴らすのに何のリミットも限界もない。著作権団体は何かを言うかもしれないが笑、僕らはそこにすらおおむね関わりがない。だったら音を鳴らすことに限界を設ける必要はないし、そうするべきでもない。
 
今まで僕らの演奏曲目は、めまぐるしく変わってきたし、これからもそうだろう。もちろん、やらなきゃいけない時には、”Faith Rider”や”Karma Flower”をやるし、”Jee-You”だってやるだろうけれども。
 
僕らは、もともと、僕のメッセージがストレートでアクが強過ぎるために、そしてクリスチャンなんたら言い始める前からすでにスピリチュアルな要素が強かったがために、「音楽性もハードロックなんだから、英語でやった方がいいよ」と常に周囲から言われてきたバンドだ。
 
で、それも、本当はいやだなと思い、日本人だから日本語で歌う方がいいに決まっている、と思っていたのだけれど、とある機会がきっかけとなり、先人の志を受け継ぐ形で、では英語で歌ってみよう、と決意したのだった。
ところがそれでやってみると、つまりはキリスト教的なメッセージを歌うようになると、今度は「なんで日本語で歌わないんだ」みたいなことを言われるようになる。おいおい、俺は本当は日本語でやりたいと思ってたのに、周囲にそう言われたからわざわざ英語でやって、それもやっと多少は上手くなって、しっくりくるようになったののに、今度は逆のことを言うのかよ、と、そんなふうにいつも感じていた。
 
結論から言えば、両方必要なのだし、そして俺としても、やはり日本語も英語も両方やりたいのだし、そして実際のところは、今までだってちゃんと、両方やってきたのだ。日本語も英語も、両方ちゃんとやっているのだ。クリスチャン系の楽曲だって、基本英語でやってきたけれども、メッセージの強いワーシップ系の楽曲は、常に日本語バージョンも録音制作して、ライブでも日本語で歌うようにしてきたのだ。
 
たとえば、”Japan Metal Jesus”アルバムの最後に入ってる”Shito Shinjo”(使徒信条)なんかは、使徒信条を歌った曲、海外のクリスチャンバンドはよくやってるけれど、他の日本のバンドがやって陳腐になる前に、俺たちもやっちゃおう、と思ったから、日本語で使徒信条を作品にしてみた曲だ。すごい即席なんだけれど、シャレが利いていて自分ではわりと気に入っている。あの曲のサビに出てくる「わかりきったことに議論なんか必要ないでしょう」というのは、すごく宗教っぽくて笑えるという自虐ギャグのつもりなんだけれど、元ネタは別にキリスト教とかじゃなく、Van HalenのライヴアルバムでSammy HagarがMCで言っていた言葉が元ネタだ。どこかの作家からの引用だろうと思うけれど。
 
だから、日本の人にせよ海外の人にせよ、「なんで英語で歌っているんだ。日本語の曲はないのか。」と言う人は、大抵YouTubeとかでちょっとだけ聴いただけで、バンドのウェブサイトすら見ていない、知らないだけなのだ。
 
ウェブサイトの作品リストを見てもらえば、過去に日本語の楽曲をたくさん作ってきたことも、クリスチャン系のメッセージを持った曲でも日本語のものがいくつもあることが、わかるはずだ。だから、こう返答するようにしているのだ。「僕たちは、これまでに日本語の楽曲を、だいたい100曲くらいレコーディングして発表していますよ。」って。それは別に、普通に事実である。
 
さて、うちのバンドがこれから制作する作品、”Overture”は全曲日本語のアルバムである。本当はうちの基準だとフルアルバムって感じではなくて、バンドで録音するのは7曲、あとの3曲はおまけだから、うちの基準だと4ぶんの3アルバム、みたいな感じだ。フルアルバムには足りない気分のそんな作品だ。
 
そうだとしても、全曲日本語のアルバムを作るのは、やっぱりずいぶん久しぶりだ。
もちろんここ数年、過去の日本語アルバムのリミックスや修正の作業もやっていたから、僕としては気持ちとしては久しぶりって感じはしないのだけれど。
 
このアルバムは、Imari Tonesの今の現メンバーで制作するアルバムとしては最後の作品になる、と皆には公言するようにしているけれど、だからいろいろと複雑な意味合いを持つ作品ではあるけれど、そのことには今は触れない。どちらにせよバンドの到達点である「鍋島」を鳴らすために、そして「皆さんの期待」に応えるために、今のままでは無理である、と判断したから、バンドの再構築、建て直し、を検討しているのである。
 
クリスチャンメタルバンド、なんて言い始めてしばらくたつと、こんな素晴らしいクリスチャンのメッセージを歌っているのだから、英語だけでなく、日本語で歌ってほしい、なんて言われることがある。もちろん、それは日本でライブを行った時の話である。
つまり、僕の「クリスチャンメタル」の英語の歌詞は、非常にストレートに、率直に神のことを歌っているのである。それは、はっきりいって、日本人だから出来ること、というか、日本人だからというその立場を半分くらい意識して利用しているところもはっきり言ってある。つまり、英語が母国語の、たとえばアメリカ人のアーティストだったら、これほどストレートに神について歌えないだろうと思う。母国語ではないから、逆に率直に歌うことが出来る、という表現の妙である。
 
かといって、俺がライブの際、たとえ英語で歌っていても、これは英語でMCやっても日本語でMCやっても同じように、MCで、歌詞以上にストレートに神について語っている、というか叫んでいる、のは、ライヴを見た人ならきっと知っているはずだ。YouTubeにもそういうライブの映像がいっぱいアップしてある。
 
だから、俺はどっちにしろ、これ以上なくストレートに、神の愛を伝えてきたつもりだ。だからこそ、日本語だの英語だのといったことを言われる筋合いはないし、その必要もない、と思っている。
 
で、今度の”Overture”は全曲日本語なのである。
では、日本語で歌詞を書いてクリスチャンロックしたら、英語と同じようにストレートなメッセージになったかと言えば、これがやっぱり、ならなかったのである(笑)
それはつまり、日本語は母国語であるから、自然に書いたとしても、より高度であったり、複雑であったり、遠回しな表現が可能になってしまうからだった。つまり、詩を紡ぐのであれば、自然に書けば書くほど、それは自然と、そういった内容になるからだ。
そして、若い時に書いていた率直過ぎる歌詞よりも、やはり年を重ねたぶん、多少は気の利いた言い回しが出来るようになっていたのだった。
 
かといってストレートにクリスチャンしてる歌詞も無いわけではない。
今回の”Overture”の中には、たとえば、
[Born Again]や、[Forgiven]、そして[Mistake]あたりは、非常に直接的にキリスト教的な歌詞の色が強い。
[Overture]や、[Discarded World]あたりは、キリスト教的な要素は、実は強く入っているけれども、それをうまく隠した歌詞になっている。多少は歌詞が書けるようになったということか。
ラップ曲の[Revive The Nation]や、弾き語り曲の[誰も神を見ない」あたりは、キリスト教世界の、というよりは人類世界の中の、信仰をめぐる状況について、遠回しに批判的に歌う内容になっている。
そして[さむらわない]、[言葉]、[Cat Licks]は、それほどクリスチャン的な内容とかはあんまり関係のない曲である(笑) 少なくとも直接的にはあんまりない。
 
以上で10曲、の歌詞の感じだ。
ライブで披露する機会に、あまり恵まれないぶん、ちょっとついでの機会に、練習中の動画を記録してみた。
 
あくまでリハスタでの練習中の演奏であるが、正直言って、うちのバンドの弱点とか悪いところが出まくっている内容の映像でもある。そこは、バンドの演奏がわかる人が聴けば、きっとダメ出しが満載だろう。
 
けれどもこの”Overture”はそれでも昨年の年末あたりから既に取り組んでいたので、それでもまだマシな方ということでアップすることにした。
スタジオ練習だし、ワカメちゃんみたいな髪型でへんな見た目になっている中でも、この曲だけはわりとイケメン風に映ったので、アップしてもいいかなと思った。
 
この”Overture”はセクシーな曲だと思う。自分は決してイケメンではないしセクシーでもないが、この曲は自分が書いた中ではセクシーな方の曲だと思う。
これを聴いてクリスチャンソングだと思わない人もいるかもしれない。
むしろその逆だと思う人もいるかもしれない。
 
けれどもこの曲は、「信じることのかけがえのなさ」と、「信じることの難しさ」を、思い切りかっこつけて歌った曲なのだ。
思い切りかっこつけて、笑っちゃうくらい気障に、かつ軟派に、歌う曲なので、そう聴こえないかもしれない。
けれども、たとえ、俺たちが、現状にどれだけの不満を抱いていたとしても、俺たちが、たとえ世の中の状況に絶望していたとしても、それでもやっぱり「信じることを選ぶ」。そして、「一緒に来ないかい」と呼びかけている。だから、俺たちにとってこの”Overture”は、間違いなく勝利なのである。たとえ、今のバンド活動が限界に来ていて、このメンバーの現体制で作る、これが最後の作品だったとしても、やっぱり俺たちの答えは「勝利」なのである。
 
もっとストレートな曲も確かにあるよ。
でも、これがImari Tonesによる日本語のクリスチャンロックバンドとしての表現だ、と、そう言ってしまって、かまわない。
本当に、信じる、ということの真実を射抜くためには、こんなふうに言葉を削ぎ落とすしかなかった。
そんな内容の詩です。
 
ああでも、歌詞まちがえてるけどね、この映像(笑)
肝心なところでサビの決めの歌詞を、間違えてる(笑)
 
すでに昨年の時点で、「鍋島」の2枚組24曲の作詞作曲はすべて完成していることはお伝えしていると思う。それは半分日本語、半分英語、だけれども、それらの歌詞についても、どんな「クリスチャンロック」を言葉にしたのか、はやく皆さんに、お伝えしたくてたまらない。
でもきっと、早くても数年、まだかかるんだろうと、思う。
 
ときに、Calling Recordsのライブイベントが、来たる2017年10月7日(土)新宿Mega Rockにて行われます。もちろん僕たちImari Tonesも演奏します。
現メンバーであと何本やれるかわかりません。ぜひ見に、会いに来てください。
 

 

 

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