伊万里音色のラブレター

話が、大風呂敷かつ、遠回りに、長くなることを、最初に謝っておきます。
また、読んで反発や、不快に思ったら、すみません、あらかじめ謝っておきます。
でも、それで嫌いになっていただいても、まったくかまいません。
これは僕の本気のラブレターだからです。

僕がこの伊万里音色 (Imari Tones)という不思議な名前のプロジェクトを始めたのは、
最初の起源からいえば、もうずっと昔のことです。10年以上前です。

始めた理由は、他にやれることがなかったからです。
他の選択肢がなくなってしまったからです。
僕はミュージシャンになることは否定していた少年でした。
僕が少年時代、弁護士ないし検事を目指していたことは、親しい友人なら知っていると思います。

時代的には、
90年代の後半に、進化していった、デジタルレコーディングやコンピュータを利用したレコーディングが、個人レベルでの録音環境を変えていったこと、

それから、21世紀に入って、ショウビジネスとしてのロックがあらゆる意味で縮小していった背景と重なります。

高校を出て以来、いろいろあってちょいとばかし、精神的に不安定だった私が、実家の音楽室に自作PCを組み上げて、録音作業を始めたのが、実に1998年のことで、

ちなみにImari Tonesという名前が頭に浮かんだのが、翌年の1999年のことでした。
変な名前だと思いましたが、もっと洒落た名前を付けたいと思いましたが、たとえバンド活動に不利であっても、それを使わなくてはいけない、と思いました。
(そして、実際にバンドが形になったのは2004年の事です)

それ以来、10年、11年が経過したわけですが、
Worldly、現実的に見れば、
別段成功もしていないわけですが、
それでも、スタート地点を思えば、とても遠くまで発展することができましたが、

その道程は、とても祝福されたものでした。

そして、はたから見れば、僕らは今もまだ、成功の階段をゆっくり登っている途中の状態に見えるかもしれませんが、

芸術家(のはしくれ)としての、
僕の本心からしてみれば、

僕はもうとっくに、自分のやるべきことを、「成し遂げて」います。

具体的に言えば、
それは、自分、自分たちだけで録音制作をした、
自主制作10枚の旅路です。

1998年から、2005年にわたって、制作をした、
10枚の自主制作作品、
それこそが、伊万里音色(ImariTones)の、
もっとも本質といえる作品です。

僕がロックを始めたのは、
他でもなく、少年時代、
このロックという精神哲学のポジティヴなエナジーによって、
世界の人類の精神を救うことができる、
と感じたからでした。

それは、ロックをやる人間は、皆、そうだと思うのですが、

しかし現実には、
ロックはまだそれに成功していないと僕は思います。

僕が思うには、
60年代にその基を築き、
70年代を見事に発展させ、
80年代にそれを身近なレベルにまで応用することに成功したロックというムーヴメントはしかし、
本来の目的である最後の一撃をいまだに放つことができず、
それ以上先に進むことができずにいます。

何がそれを邪魔したかはここでは議論しません。
90年代を通じて、悪く言えば、ロックは停滞し、よく言えば、ロックは成熟し、2000年代にはさらに砕かれていきましたが、
(砕かれる、というのは、クリスチャン用語なのか?)

世界にたくさんミュージシャンがいる中で、
僕が知っている中では、

本当に世界を救うことができる精神的ポテンシャルがある音楽家は、3組ありました。
きっと僕が知らない中ではもっといるかもしれません。

Van Halenは、本当にロックという精神性を世界的にメジャーな舞台で発展させ、80年代のロックの目的を、完璧に果たしましたが、90年代に入り、僕が言うところの、ロックの究極の目的である「最後の一撃」を放とうと試みた途端に、猛烈な抵抗に合い、結局、パーティーバンドとしての枠から逃れることができず、静かな死を迎えました。ロック史上最強のギタリストであるEddie Van Halenにそれが出来なければ、他の誰にそれができるのか。私は、非常に深刻な思いです。

僕が日本で最も尊敬する音楽家であるところの、熊谷幸子さんは、70年代の偉大な音楽家である荒井由実の直弟子として、そのはるか先を行く音楽を作り、一時はメジャーな舞台に踊り出ましたが、ポップシンガーとしての枠から、大きく外れることはできませんでした。しかし、ある意味で、熊谷幸子さんは、師匠のユーミンと違い、バカ売れしなかったことで、知名度こそ大きくはないものの、ある意味でその音楽の究極の目的を、提示することに成功していると、僕は思います。

21世紀に入ってから活動を始めた、+/-{plus/minus}は、その精神性のピュアさと強靭さにおいて、新たなロックの理想の地平を切り開く力を間違いなく持っていると私は思いますが、しかし彼らもきっと、シューゲイザー系のインディバンドという枠からはみ出すことは無いでしょう。しかし、ある意味、インディであり続けるということで、示すことができる新たなロックの形があるかもしれません。

こう書くと、自らの実力不足に、情けなくなりますが、
伊万里音色、Imari Tonesは、そのロックの「最後の一撃」を放つべく、生まれたバンドです。

そして、実は、その一撃は、もうすでに、撃ちました。(笑)

これは、笑い事じゃないんです。

僕が、ロックという芸術が持つ、答えを見つけたのは、
だいたい15,16歳のことです。

その事実だけで、僕という一人の個人の心、魂を救うには、十分でした。
ですから、僕自身の人生は、その時点で、幸福であったのであり、勝利していたのです。

実際に、そのロックの福音は、僕をすっかり変えてしまい、それ以降の人生で、僕のことを非常に助けてくれました。それ以降、そのロックの福音こそが、僕の中で、今この瞬間にいたるまでまで、僕の人生の中心に置かれていました。

その中には、既に、神や信仰ということも含まれていました。
僕は特定の宗教の信者ではありませんでしたが、
(つーか日本人なら大抵、生まれながらに限りなく無宗教に近い仏教徒ということになっておるが)

後にクリスチャンになることすら、このときすでに、僕の中にプログラムされていたと、僕は思います。

ですから、僕にとっては、
この世界がどうなろうが、
ロックという芸術の試みが、成功しようがしまいが、
本当はどうでもいいことです。

明日、殺してくれたっていいし、
明日、世界が滅んだってかまいません。

また、僕や、僕自身、僕の音楽などを、
否定してもらっても、一向にかまいません。

僕自身の魂は、とっくに救済され、勝利しているからです。

1998年–2005年の間の、
僕と僕らの旅路の記録である、
この10枚の自主制作による作品は、

誰も注目しない中で、
まったくにインディペンデントな中で、
作られたものですが、

その中には、
自分の人生における、僕自身の身におけるロックに対する答えのすべてが、凝縮して込めてあります。
これ以降、たとえどんなレコードを作ろうとも、
仮にすごく売れたり成功した作品を作ろうとも、
伊万里音色の本当の本質が、その自主制作した10枚にあるということは、
未来永劫変わりがありません。
これらは、日本という国に生まれた、僕個人の、自らのパーソナルな人生の表現のすべてです。

今までの人生で、もう死んでもいいな、とおもった場面が、
いくつかありますが、
そしてそのたびに、次のフェイズ、段階での旅が始まりましたが、

この10枚を作り終えた時点で、本当は、芸術家(のはしくれ)としては、僕は、いつ死んでもいいんです。

そんな究極の一撃を放ったにもかかわらず、
たぶん世界はそんなに変わってもいなければ、
僕らも成功とか別段、まだそんなに、してないし、
目を見張るような奇跡が起きたわけでもない。
(いや、本当は、奇跡は、いっぱい、起きてるんですが)

それは、たぶん、僕自身が未熟であるか、
しょせん世界がそういう運命なのか、
あるいは神様はロックの違う形を望んでおられるのか。
ないしは、神様はもっと僕にもっと働けと言っているのか。

知りませんが。

どっちにしろ、
インディペンデントに歩んできた
その10枚の旅路は、
とても祝福されたものだったのです。

身近な人達にこそ、
僕が、伊万里音色、Imari Tonesとして、
どんな道程を歩んで、どんな音符を見つけてきたか、
知って欲しいのです。
だから、今、こういうラブレターを書いてます。

伊万里音色の音楽には、
最初から、信仰や、宗教的なテーマがあったと思います。

しかし、本当に表現の純粋さを保つためには、
特定の宗教や教会に属さずに、
あくまで、荒野でたった一人、信仰を見つける必要があったのだと思います。

伊万里音色の音楽には、最初から、直接的にではなかったとしても、宗教的な要素が、少なくとも、ありました。

2001年頃に、「漂泊の救世主」という、大仰に聞こえてなおかつジョークと自嘲的な皮肉にあふれた言葉を思いつき、皮肉まじりにそれをテーマとして口にしてきたこと。

暗い精神状態と状況の中で、何も考えられない中で一人で作った最初の録音作品のタイトルが、すでに「Through The Garden Of Gods」だったこと。
そのテーマは、神との闘いと、そして和解でした。

2001年の作品である「進化論」という曲には、たとえ偶然にしろ、創造の神秘について歌い、「神の御心のままに」というフレーズが出てきます。

2005年の作品、「美しいものを観よう」の、裏に秘められたテーマは、「神を見る」ということでした。それは、米持プロデューサーと一緒に録音した”Speechless Speaker”という英語バージョンの拙い歌詞により強く現れています。

「報せ来る」という曲は、書いた当時は、何について歌っているのかわかりませんでしたが、後から見返すと、明らかにジーザスがもたらす救済についての曲であることがわかります。

もちろん、曲の多くは実際には、個人の愛と生活についてのものですが、
そうした、メッセージ性のアクといったものが、とっつきにくさにつながり、多くのバンドと同じように、都内のライヴハウスで盛んに演奏していた時期に、観客からハテナの反応を示される原因になっていました。しかしそのアクは、隠そうとしても、隠せるものではありませんでした。

10枚の自主制作を終えた後、
米持師匠との出会いをきっかけに、
なんだかだんだん海外志向が強まっていき、
また、自らのルーツであるハードロックへの回帰が強まっていき、
あげくのはてには、クリスチャンになり、クリスチャンロックを名乗るようになるというオマケまで付きました。

しかし、ぶっちゃけ、言ってしまえば、
それら、その後の活動は、余興であり、後日談に過ぎないのです。
神様は僕と僕らに、もっと働けと言っていると思っています。
もともと、世界とすごく距離のあった伊万里音色、そして僕自身ですが、
だんだんと、世界との距離を縮めていると思います。
だんだんと、worldlyというのか、世俗的に受け入れられる方向に、進んでいるのだと思います。
しかし、それも、自主制作時代において、芸術的に本懐を遂げているからこそ、変化していけることです。

これら自主制作の10枚は、見てのとおり、日本語で作り、日本語で歌い、
また、日本の文化背景を前提に作った作品であり、表現です。
だから、外国の人々には、必ずしも理解できるものではないと思います。

僕はもともと、最初から、ミュージシャンとしては、日本語で歌いたい、と思っていました。
今は、すっかり、英語で歌っていますが、それは、海外志向という方向に、自分達の現実的なアウトプットを見出したからに過ぎません。
日本という国や風土や文化に対する、愛情や、複雑な感情を、ここで述べることはしませんが、僕はもともと、日本語で歌いたかったし、日本語で歌い表現した自主制作10枚の旅路に、とても満足しています。

荒野で孤独に行った、10枚の自主制作の旅路を終えたからこそ、
神様は僕に、クリスチャンの信仰を与えてくれました。
これも、計算されたタイミングだったと思っています。

しかしそれすらも、僕にとっては、もともと持っていた信仰に、名前と形が与えられたことに過ぎないと思っています。
信仰として大事なことのほとんどは、ずっと昔に、教えられ、もらっていたと思います。

自主制作の10枚が、日本で生まれた人たちに対する、僕のラブレターであったとすれば、
それ以降に作った作品は、外国ないし世界の人達に対するラブレターです。
そしてクリスチャンの信仰という武器も神様はちゃんと与えてくれました。
今作っている”God Rocks”(仮)は、特にそうです。

10枚の自主制作の旅で、この国に生まれた人間としての、答えを提示することができたように、次の”God Rocks”では、世界の人々に対して、自分という音楽家の答えを提示することができると思っています。
僕はそれを、ずっと鳴らし続けることができるはずです。

身をもって示したい。
インディーズ時代に絶妙なタイミングで生まれることができて良かったと思っています。
それらのことを身をもって示すには、いちばんの環境なのだから。

Electric Eel Shockも歌っています。
「ロックンロールは世界を救う」って(笑)

ロックが、神様からの贈り物であり、
神のプランであるということは、
僕が独自に持っている信仰です。
こればかりは、譲れません。

たとえば、The Beatlesにしろ、Jimi Hendrixにしろ、
僕が語ると、人類の歴史とロックの意義といったことや、神様のプランということを語り始めます。
だから、結構、ファンの人とも会話がかみ合わないと思います(笑)

たとえばクリスチャンになるずっと前から、
僕は、The Beatlesは、ミュージシャンとしては、まったく参考にならない、なぜなら神の手が入りすぎていて、そもそも真似しようにも出来ないからだ、という発言を、いつもしていました。

異論もあると思いますが(笑)

少年時代から、
芸術家としての自分にとっての武器は、
純粋な信仰と、自由な心と、個人的な愛情であったと思います。

それらに、神様は答えてくれることを、僕は知っています。
たとえば、神様は、今に至るまで、僕が、曲が必要だと思えば、
いくらでも、曲をくれました。
そして、今まで、僕はなんとか、生き延びています。
多くの人達との、出会いと、旅がありました。

どんなに、幸福な旅路であったか。

奇跡は、たくさん起きています。
それを、伝えたいんです。

今、海外志向で、よりハードロックなサウンドを、英語で演奏していますが、
もちろん、それらは、手応えとともに信じて行っていることですが、
でもいつの日か、
日本語で歌った、これらの曲たちを、
皆の前で、再び演奏できる時が来たら、
その時こそ、僕は自分の人生を終えることができるのだと、思います。

大仰に聞こえるかもしれませんが、
これが僕のラブレターです。

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