Heavy Metal ritual

  Spiritual poetry (based on Japanese background)   「神事としてのヘヴィメタル」ということを考えている。 日本の神道において、日本人が神に向きあってきたやり方を考えている。 そこにある歴史的な経緯や、古代における大陸からの影響を考えている。 日本の風土だからこそ受け継がれてきた神との向き合い方を考えている。 ロックンロールの歴史を考えている。 宗教音楽の歴史を考えている。 ロックンロールの本来の姿を考えている。 ヘヴィメタルの本質について考えている。 失われた宗教の本質について考えている。 形骸化した現代の宗教について考えている。 現代において失われた信仰の本質について考えている。 本質は形にした瞬間にその意味を失う。 商業化され、記号化され、やがてデジタル化された現代において、信仰の本質はもはや跡形もない。 それは音楽についても同じことが言える。 政治も、経済も、文化も、音楽も、ロックンロールも、そして信仰も。 AIのアルゴリズムに支配されたプラットフォーム上の世界で、すべてが価値を失い、本質を失い、消え去っていく時代。 あらゆる枠組みと価値観が破壊された現代の世界の中で、果たして掴むべき価値を持つものなど残っているだろうか。 本質ということを考えている。 音への向き合い方ということを考えている。 音は目に見えない。 だからこそ、目に見えない音に向き合うミュージシャンは、本来、霊性を研ぎ澄まし、神と人との橋渡しをすることが出来るはずである。 祈るという行為について考えている。 人類が取り戻すべき信仰について考えている。 それはソーシャルメディア上の流行のことではない。 信仰心までもインターネット上のハイプに左右されたくはない。 ヘヴィメタルという音楽は、人間の精神、その深部、そして暗部を表現することが出来る。 また歴史の中の暗部を、そして悲劇を表現することが出来る。 そこには伝統がある。ハードロックの伝統があり、ブルーズの、そしてゴスペルの伝統がある。 この日本にも悲劇の歴史がある。信仰者たちの悲劇の歴史がある。 キリストの血によってもたらされた救いを、十字架によって示された救済を、ヘヴィメタルによって鳴らす。ヘヴィメタルによる表現はその本質に迫ることが出来るはずだと信じている。 能はかつては、本来は神事として行われていた。 奏楽も、舞踊も、本来は神事である。 ヘヴィメタルもそうあるべきだ。 本当の祭りということを思う。 人々の心ということを思う。 神の心ということを思う。 神の愛ということを思う。 あるかどうかもわからないこの世界の未来を思う。 もし人類に明日があるならば。 何を恐れることがあるだろう。 僕らは最初から荒野の中を歩いていたのだから。 何もない場所から新しい世界を作ろうとしたのではないか。 …

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