ハロー、日本のクリスチャンヘヴィメタルバンド、Imari Tones (伊万里音色)のToneです。
2017年11月にリリースした、僕たちの新しいアルバムである”Jesus Wind”を楽しんでくれていることと思います。
見てのとおり、”Jesus Wind”は、日本の歴史をテーマにしたコンセプトアルバムであり、楽曲にはそれぞれに背景となるストーリーがあります。
僕たちがライナーノーツを含んだブックレットを付けてCDを制作したのはそういった理由からです。背景となるストーリーを伝えるためです。
けれども、そのライナーのインターネット版をまだ作っていないことに気が付きました。
ですので、”Jesus Wind”のストーリーを伝えるために、ここにライナーノーツを掲載したいと思います。
これは基本的には、CDのブックレットに書かれたものと同じものです。(CDブックレットにはすべて英語で書かれています。)
けれども、これはあくまで、ひとつの解釈に過ぎない、僕たちなりの解釈に過ぎない、ということを覚えておいてください。
他にもいくつもの解釈の仕方があるのであって、皆さんが音楽を通じて感じることがあれば、それが真実です。
たとえば、「The War」という曲がありますが、ライナーノーツの中には、私は「この曲の最後の部分は、爆撃機の飛来する音を表現している」と書きました。
けれども、実際はもともとの意図は、広島と長崎に落とされた原子爆弾を表現することにありました。
しかし、実際にギターを録音してみると、フィードバックの音が入り、それはまるで爆撃機の飛ぶ音のようになりました。
けれども、解釈はひとりひとりのリスナーにお任せしたいのです。
もしあなたが何かを感じたのであれば、それは真実であり、僕たちは皆さんの想像力を制限したくはありません。
それを踏まえた上で、これは私たちのひとつの解釈としてのライナーノーツです。
Jesus Wind / Imari Tones
KKRS-023
Past (過去、古代)
1. Jee-You
2. Dying Prophet
3. God’s People
4. Saints Seeking Salvation
5. Bushido
Present (近代、現代)
6. The War
7. The Peace
8. Remembrance
9. The Wave
10. When The Nation Falls
Future (未来)
11. This is How Freedom Dies
12. Repent
13. Don’t Stop Walking
14. Revolution
15. New Jerusalem
これは日本の歴史についてのコンセプトアルバムです。
これらの音楽は、日本の歴史について、スピリチュアルな視点から、特にキリスト教的な視点から描くという意図の下に書かれています。
日本ではキリスト教は主要な宗教ではありませんでしたが、日本はその歴史の中でユニークなキリスト教の歴史を持っています。
私たちのゴールは、過去についてだけではなく、未来についても描き出すことによって、このアルバムをある種の「音楽的な預言書」として提示することです。
[Jee-You]
“Jiyu”とは日本語で自由(freedom)を意味します。
私たちは、本当の自由とは神と人間との関係の中にこそ存在すると信じています。なのでこの曲のタイトルは”Jee-You” (Jesus – You)と表記します。
これは革命についての曲です。もともとこの曲は「未来」のパートに含まれる楽曲でしたが、最後には私たちはこの曲をアルバムのオープニングとすることにりました。なぜなら、人間の歴史の中で、歴史を動かすのはいつでも人々の情熱だからです。もっとも重要な革命は君の中にあります。それは精神の自由です。
“Jee-You” 日本語訳
戦争はいらない
それが俺自身の戦いで無い限り
気が付けば既に戦争は始まっていたんだ
戦場に立って
俺たちはいったい誰のために戦うのか
いったい何人の人間を殺せばこの悪夢は終わるのか
俺たちは拒否する
残虐な行為に加担することを
獣に従って生きるよりは
人として死にたいのさ
なぜなら俺たちには
自由がある
(Freedom)
それが俺の信じるものなんだ
自由がある
(Freedom)
神と俺との間にある自由こそが
俺が求めるすべてなのさ
システムは崩壊した
社会も崩れ去った
その薄い線で俺たちを分けることはもう出来やしない
人類の歴史上
最後の革命
俺たち一人一人が、誰のために死ぬのか決断しなきゃいけないのさ
俺たちは選ぶ
真実に従うことを
俺たちは未来を信じ
決して恐れないのさ
なぜなら俺たちには
自由がある
(Freedom)
それが俺の信じるものなんだ
自由がある
(Freedom)
俺の命をすべて
君に捧げるのさ
友よ
友人たちよ
君の声が聞きたい
君の叫ぶ声が聞きたいんだ
君は未来を信じるか
そして神を信じるか
君は愛のために死ぬことができるか
俺たちは勇敢になれる
なぜならこれは革命だからさ
俺たちにはできる
神が共に居てくれる
俺たち一人一人が命を捧げれば世界を変えることができる
俺たち一人一人が命を捧げれば世界を変えることができる
なぜなら俺たちには
自由がある
(Freedom)
それが俺の信じるものなんだ
自由がある
(Freedom)
俺が欲しいただひとつのもの
それは
君なのさ
[Dying Prophet]
すべての国には、預言者と、神のメッセージと、人々の不従順の歴史があります。日本には預言者が居たのか? 間違いなく居たでしょう。けれども、この曲は旧約聖書の預言者たちを直接に指し示しています。その理由は、次の章で明らかになります。
“Dying Prophet” 日本語訳
私を火の中に投げ込むがいい
私をライオンの巣に放り込むがいい
私は決して恐れはしない
神の言葉を変えることは誰にもできはしないのだから
国は腐敗し
世界は混乱に陥った
私たちは生き方を改めなければならない
私たちは預言者
死ぬ覚悟は出来ている
決して意志を曲げはしない
神の御心が実現するまで
それは必ず実現する
私を泥の中に投げ込むがいい
私を蠍の巣の中に放り込むがいい
私は決して恐れはしない
私の運命を変えることは誰にもできはしない
僧侶たちは堕落し
姦淫がはびこっている
この地はきっと炎で焼かれるだろう
私たちは預言者
死ぬ覚悟は出来ている
決して意志を曲げはしない
神の御心が実現するまで
必ず実現する
私たちは預言者
戦う準備は出来ている
決して後戻りはしない
神の言葉が聞かれるその日まで
必ずや聞かれるであろう
神の声が天からこだまする
この地に住むすべての人々に向けて
神は私たちを葡萄のように踏みつけ
すべての国々を罰するだろう
神は不誠実な者たちに剣を突きつけ
その心を試される
私たちは預言者
死ぬ覚悟は出来ている
決して意志を曲げはしない
神の御心が実現するまで
必ず実現する
私たちは預言者
戦う準備は出来ている
決して後戻りはしない
神の言葉が聞かれるその日まで
必ずや聞かれるであろう
[God’s People]
ある研究者たちによれば、「失われたイスラエルの民族」は、祖国を失った後、東へと旅をしたそうです。
歴史の教科書にも出てくる「秦氏」は、そのうちのひとつとも言われています。彼らは古代の日本の社会の中で、文化、政治、宗教などの面で大きな影響を残しました。
私たちは、彼らこそが日本に神を持ち込んだ人たちであると考えたいと思います。そしてその結果、神道の中にはユダヤ教との多くの共通点が見出されます。
“God’s People” 日本語訳
王国は滅びた
我々は自分自身の罪に負けたのだ
私たちは故郷を失い
親のない子供となった
私たちの身勝手さと欲望が
神の命令を無視させた
すべてを失い、やっと理解した
神はいつでも誠実だったことを
旅を始めよう
東へと向かい
我々の運命を探して
我々の神を探して
はるかな砂漠を越え
深き森を抜けて
最も高い山々を踏み越えて
私たちは果てしなき旅を行く
神の愛を取り戻すため
再びやりなおすため
神の愛を取り戻すため
今度は
必ず守り通してみせる
私たちは神の民
神自身の御手によって砕かれた
私たちの悲しみは続く
けれど神の掟は永遠であることを知っている
希望の地が見える
新しい物語がここで始まる
私たちはここで生き、ここで死んでいこう
いつの日か、ふたたび我々がひとつになるその日まで
旅を始めよう
西へと向かい
我々の未来を探して
神を探して
はるかな砂漠を越え
深き森を抜けて
いくつもの川を渡り
私たちは故郷に帰っていく
神の愛を取り戻すため
再びやりなおすため
神の愛を取り戻すため
今度は
必ず守り通してみせる
[Saints Seeking Salvation]
一般に公にはされていませんが、中世の日本の仏教がキリスト教からの影響を受けていることは事実です。中国で勉強したこれらの僧侶たちは、実際にキリスト教の聖書を読んでいました。
日本の仏教の歴史はとても複雑で政治的なものです。しかし、私たちはこれらの偉大な僧侶たちは本当に人々を救うことを望んでいたと考えています。彼らは真実を求め、そして救い主を待ち続けたのです。
“Saints Seeking Salvation” 日本語訳
諸行無常
人生は苦しみに満ちている
救済が必要だ
この問題を解決するために
痛みはなく
喜びはなく
法もなければ
神もない
終わりのない苦しみ
抜け出す道はない
我々の罪を赦すことのできる
大いなる慈悲を探し求める
見つけたぞ
ついに見つけた
この言葉で
俺たちは救われる
救われる
善人だけではなく
むしろ罪人こそが救われなければならぬ
諸法無我
この世界は悪に満ちている
指導者が必要だ
この国を導くために
見ることもなく
聞くこともない
自分自身もなければ
そこには真実もない
終わりのない疑問
毎夜俺を苦しめる
より高き真実を求め
我々は海を渡る
見つけたぞ
ついに見つけた
この言葉で
俺たちは救われる
救われる
善人だけではなく
むしろ罪人こそが救われなければならぬ
私はこの秘密を
歌に記そう
長き旅の果てに
私はこの人に会った
はるか天竺の地にて
この聖人に出会った
彼こそは救い主
ユダヤの王、INRIことキリスト
我の業が満ちし時
救い主は我に来たり
見つけたぞ
ついに見つけた
この言葉で
俺たちは救われる
救われる
善人だけではなく
むしろ罪人こそが救われなければならぬ
私はこの秘密を
歌に記そう
[Bushido]
武士道、つまりサムライの行動規範は、日本人の精神のエッセンスです。では、なぜ武士道はキリスト教との共通点を多く持っている、と言われるのでしょうか。戦国時代のキリシタン大名のせいでしょうか。
明治時代の偉人である新渡戸稲造は、武士道についての本を書き、日本人も西洋の国々に劣らないキリスト教精神を持っていることを証明して見せました。日本人のキリスト教徒として、私たちはイエス・キリストが旧約聖書の法を完成させたように、キリスト教によって武士道が完成されることを信じています。
“Bushido” 日本語訳
この剣は俺の命
だからこそ無闇に使うことはない
戦って敵を倒すことが勇敢なのではない
真の勇気とは死ぬべき時を知ることだ
俺たちは最初から知っていた
勝ち目など無いことを
サムライとはすべてのものを耐え忍ぶこと
ありのままを受け入れ、文句のひとつも言わない
我々は死の中にこそ生を見出す
それこそが武士道の心
名誉は命よりも重い
だからこそ名誉ある死を選ぶ
我々はこの残酷な世界の中に美を探し求める
そして容赦のない戦いの中にあって掟に従う
最初からとうにわかっていた
たとえ勝ち目などなかったとしても
大和魂とは、すべてを赦すこと
人生をあるがままに受け入れ、自らの十字架を背負う
一度死すれば、再び死ぬことはない
それこそが武士道の心
美しき大和の伝統は
この新しい時代の中で消え去ろうとしている
けれども我々はこの使命を受け継ぐ
我々に課された最後の、そして最大の目的を遂げるために
自分たち自身よりも大きな何かのために
それが「仁」の心
[The War]
この曲はおおまかに第二次世界大戦についての曲です。その中において日本は焼き尽くされました。
誰が戦争を、何のために始めたのか。私たちはそのことについては議論しません。この曲は、名も無き兵士の、そして一般の人々の視点から描かれた曲であり、誰が正しくて、誰が間違っているかについてでは無いからです。これは戦争によって苦しむ立場の人々についての曲です。
狂気、熱気、そしてプロパガンダ。これらは伝染病のように広がり、最後には悲劇をもたらします。
この曲の最後のパートは、日本の国を空襲する爆撃機の音を描き出しています。
“The War” 日本語訳
誰もが笑っている
狂気をはらんだ微笑みで
誰もが叫んでいる
正義の旗を手に持って
足下では子供たちが息絶えようとしている
もはや自分だけなのだろうか
この獣の病気にまだ感染していないのは
俺は必死で気付かれないように
この集団自殺から抜け出そうと試みる
殺す
そう俺は殺す
生き残るために
嫌だ
そんなことはしたくはない
けれども他に選択肢などあるのか
もしここで投げ出したら
すべてをやめて投げ出したなら
俺たちは笑ってお互いに話し合えるのか
いや、もう遅い
すべてはもう遅すぎる
運命の歯車を止めるには
これには理由がある、奴らはそう言う
誰にだって理由くらいある
それでも十分じゃない
俺にとっては
今日、ここで殺し合うための理由にはならない
誰かが戦わないといけない
誰かが犠牲を払わなければいけない
語られることのない歴史のために
たとえそれが真実でも
その訴えが正しかったとしても
俺はこの物語に違う結末を見たい
殺す
そう俺は殺す
生きて帰るために
嫌だ
そんなことはしたくない
けれども他に方法などあるのか
もしここで投げ出したら
すべてをやめて投げ出したなら
俺たちは笑ってお互いに冗談を言い合えるのか
いや、もう遅い
すべては遅すぎる
歴史の流れを変えるには
決して降伏(surrender)するな
国のために戦え
決して降伏するな
俺は愛に身を任せ(surrender)たい
決して降伏するな
決して降伏するな
決して降伏するな
国のために戦え
決して降伏するな
決して降伏するな
決して降伏するな
家族のために戦え
決して降伏するな
決して降伏するな
決して降伏するな
自由のために戦え
決して降伏するな
決して降伏するな
決して降伏するな
正義のために戦え
決して降伏するな
決して降伏するな
決して降伏するな
決して降伏するな
[The Peace]
第二次世界大戦の後、日本は世界の中で経済大国へと成長しました。今や日本は豊かで平和な国です。それが私たちが今知っている日本という国であり、私たちが育った国です。
しかし、それは本当に真実なのでしょうか。私たちは心のどこかで、それが真実ではないことを知っていました。
今の日本という国は、何層にも重ねられた嘘の上に成り立っている国です。
では何が欠けているのでしょうか。
本当の国になるために、また本当の人間になるために、私たちに必要なものは何なのでしょうか。
“The Peace” 日本語訳
嘘、ひとつの小さな嘘が
その少女を魅了し
国全体を虜にした
嘘、嘘に嘘を重ね
それは私たちを笑わせ
すべてを忘れさせた
何も心配することなどない
僕らは他人の平和の中を生きているのだから
殺人、ひとつの小さな殺人が
私たちの魂を封じ、子供たちを殺した
殺人、なんて美しい殺人
まったく構いやしない
偽りの眠りの中では、本当のことなどなにひとつ無いのだから
本当のことなど何もない
神とはいったい誰なのか
神が真実だったことなどあっただろうか
答など見つけない方が人生は楽だ
このままずっといよう、その方が安心できるから
群れの中にいる限り、僕は何者にもなりたくない
嘘、ひとつの小さな嘘が
少女を魅了し
国全体を虜にした
嘘、嘘に嘘を重ね
それは私たちを笑わせ
すべて忘れてしまおう
嘘、ひとつの小さな嘘が
群衆を魅了し
自分たちの運命を忘れさせた
嘘、嘘に次ぐ嘘
それは私たちを笑わせる
なんて平和な殺人
少しも構いやしない
[Remembrance]
この”Jesus Wind”は歴史のアルバムですが、この小さなアコースティックソングは、私の(私たちの)個人的な思い出です。私たちは戦後の平和な国で生まれ育ちました。それは完璧な世界ではありませんでしたが、美しい場所であり、そこには私たちは良い思い出を持っています。これはそれらの思い出に対する小さな追憶の歌であり、古い世界への甘く苦い別れでもあります。
[The Wave]
2011年3月に起きた地震と津波は、日本にとって大きな衝撃であり、悲しむべき出来事でした。
2万人近くもの人々が亡くなり、私たちは何かが動き出すのを感じました。
破壊された原子力発電所は、まるで開いた地獄の門のように見え、私たちは厳しい現実に向き合うことになりました。それは変えなければならない現実です。
この曲の中で、私たちは永井隆氏の「長崎の鐘」の言葉を引用しました。それは犠牲者の人々を神への貴い捧げものとして描くということです。曲の最後の音は、原子力発電所がメルトダウンする様子を表現しています。
“The Wave” 日本語訳
世界の終わりはどんなふうだろうといつも思っていた
この光景を誰にも見せることが出来ないなんてとても残念だ
俺たちは偽りの物語の中で眠っていた
現実をつかみとるために、止まった時計を再び動かさなくては
波がやってくる
すべてを揺るがす
後戻りはできない
見るがいい
主は地を崩壊させ、人々を散らす
大地は酔ったように動き、小屋のように揺れる
その火は昼も夜も燃え続け、煙は永遠に立ち昇る
その地に住む者も、そこを通り過ぎる者ももはや居ない
波がやってくる
すべてを変える
神の怒りを注ぐ
その日が来たなら、何かを取りに家に戻ろうとしてはいけない
ユダヤに住む者よ、山へ逃げなさい
ノアの時代のように、それは再び起こる
命を得ようとする者は、かえってそれを失う
二人の人が寝ていれば、一人は取り去られる
生き残った者よ、取り残された者よ、何をするべきなのか
永井博士の言った言葉を信じた方がいい
神は聖なる捧げ物だけを受け取るのだから
後戻りはできない
波がやってくる
すべてが変わる
[When The Nation Falls]
政治的な曲に聴こえるかもしれませんが、この曲は国家と社会についての、よりスピリチュアルな面についての曲です。
国というのは、外敵によって危機に陥るわけではありません。その国において、精神や魂の状況が悪化する時、その国は危機に陥るのです。
危機に際して、ある人々は恐怖を訴え、それによって権力を握ろうとします。
それらの人々は愛国者ではありません。国を滅ぼそうとする者です。そういったことは、この日本でも起きています。
“When The Nation Falls” 日本語訳
偽りの判決を下す裁判官たちは災いだ
それは国が滅ぶ時
不公平な法律を作り、貧しい者から盗む政治家たちは災いだ
それは国が滅ぶ時
国の王が
世界に向かって嘘を付く
今や皆が恥じることなく同じことをする
国の王が
憎しみを語る
今や憎しみは美徳となり、愛は悪とされる
あなたたちは聞く
しかし決して理解することがない
あなたたちは見る
けれど決して学ぶことはない
彼らの耳をふさぎ
彼らの目を閉ざせ
彼らが神のもとに立ち返り、癒されることのないように
彼らは悪に走り、罪のない者の血を流すことに急ぐ
それは国が滅ぶ時
平和の道、彼らはそれを知らない
人々に正しく公平である道も知らない
それは国が崩壊する時
偽物の預言者が
大声で叫ぶ
今や人々は愛もなくお互いに非難し合っている
偽物の愛国者
正義を語るけれど
怒りと恐れを広めているだけ
あなたたちは聞く
しかし決して理解することがない
あなたたちは見る
けれど決して学ぶことはない
彼らの耳をふさぎ
彼らの目を閉ざせ
彼らが神のもとに立ち返り、癒されることのないように
こうして正義は私たちの中から消え去り
正しさといったものは消えてなくなる
私たちは光を求めるが、そこにはなく
明るさを求めるが、闇の中を歩む
目の見えない者のように壁をつたい
手探りでやっと歩く
昼間にもかかわらず、夕暮れのようにつまづき
まるで死んでいるように暗闇に包まれる
今や善は悪となり、悪が善となる
あなたたちは光を闇とし、闇を光にすり替える
自らの目の中に賢いと思う者は災いだ
彼らは正しい者から正義を奪い去ってしまう
あなたたちは聞く
しかし決して理解することがない
あなたたちは見る
けれど決して学ぶことはない
彼らの耳をふさぎ
彼らの目を閉ざせ
この国が荒れ果て、砂漠になってしまうまで
[This is How Freedom Dies]
この曲は、言葉のないポリティカルソングです。
[Repent]
私たちは、イエス・キリストが再び来る日を待ち望みます。
私たちは皆、悪が滅び、信仰が報われる日を待ち望みます。
けれども、イエス・キリストは日本に来るでしょうか?
神の手は、ここ日本においても働くのでしょうか?
歴史の中で迫害され、殺されてしまった人々はどうなのでしょうか?
キリスト教徒として、望みの無い状況の中で、私たちはそれらのことを問いかけます。
けれども、私たちは感じます。それは起きるのだと。
日本に生きるすべての人々が、本当の神を知る時がやってくると。
その時こそ、日本が国として、魂を見出す日です。
この曲は、ヘヴィメタルによって描き出した救済です。
“Repent” 日本語訳
倒れた
バビロンが倒れた
今やそれは悪霊の住処となった
我々は皆、彼女の悪徳のワインで酔い
彼女は地上の王たちの上に君臨した
彼女(バビロン)から離れよ、人々よ
彼女の罪に加担しないように
バビロンの町の通りは
多くの預言者や、神の善なる者たちが
殺された血で染まっているのだから
悔い改めろ
神を敬い、賛美するんだ
俺たちが裁かれる時がやってきた
悔い改めろ
神の前にひざまづけ
天と地を作った主の下に
哀れだ
なんと哀れなことだ、バビロンよ
彼女の裁きは一瞬にして訪れた
我々は皆、彼女の富の分け前にあずかり、彼女と共に寝た
彼女は金と宝石と真珠で着飾っていた
彼女が人々を扱ったように、彼女自身を扱ってやれ
彼女がしたことの倍を彼女自身に返してやれ
彼女の商人たちは世界を支配し
その魔法にすべての人々は騙されてきたのだから
悔い改めろ
神の子羊に従え
信念を持って死ぬ者は幸いだ
悔い改めろ
聖なる魂の言葉に耳を傾けろ
そうすれば君は勝利し
新しい名を
命の冠を
明けの明星を
手に入れるだろう
悔い改めろ
神を敬い、賛美するんだ
俺たちが裁かれる時がやってきた
悔い改めろ
神の前にひざまづけ
救いと栄光
誉れと力は
ただ神のものである
[Don’t Stop Walking]
終わりが近いという人たちがいます。私たちはそのことを心の中で感じているので、わざわざ言葉にする必要もありません。
けれども、絶望的な状況の中にあっても、歩みを止めない人たちがいます。
彼らは夢を見ることを止めない。そして愛することを止めない。
彼らこそが、まだ見ぬ未来を作る人々です。
新しい可能性を持った、知られていなかった未来を作る人たちです。
人々は彼らをクレイジーと呼びます。なぜなら、彼らは「エレミア書51章50節」のようだから。
– 告白: そう、私たちは単に51:50という曲を作りたかっただけです。なぜなら僕たちはVHの影響を受けたクリスチャンロッカーだから。
“Don’t Stop Walking” 日本語訳
歩くのをやめないで。歩くことをやめてはいけない。
エルサレムを思い出して。思い出すんだ、君の心に。
歩き続けるんだ、歩き続けろ、止まってはいけない。
僕は君のことを考えている、考えている、遠い場所から。
だから留まってはいけない。立ち止まってはいけない。君は生き残ったんだ。
君には生きるべき人生がある。生きるべき人生がある。最後の時まで。
そして僕は君を愛している。愛している。僕は君とともにいる。
君とともに居る。君のそばにいる。
だから歩みを止めてはいけない。歩くことをやめないで。
[Revolution]
私たちに、この不可能とも思えるコンセプトアルバムを作ることを決意させたのは、それは人々の情熱でした。
私はヴィジョンを見ました。それは愛を信じる人々の姿でした。
世界を変えることが出来ると信じる人々の姿です。
それらの人々はクリスチャンでした。
その時、私は知りました。数の上では少なくとも、彼らは本当にキリストに従う者であり、そしてこの国は神に属するのだと。
“Revolution” 日本語訳
残酷な支配者は倒れた
主はその悪の支配の杖を折られた
世界は平和のうちに喜び
人々は歌い出す
なんと美しい光景だろう
山々の中を行く、報せをもたらすその人
平和の報せ、救いの報せ
そして神の勝利を宣言するその人は
大きな声を上げろ、決して止めるな
声を上げて、ギターをかき鳴らせ
彼らの神に対する背きの罪を暴け
牢獄につながれた者たちを解放し
すべての鎖を解き放て
山々にこだまする声が聞こえるか
人々の声が聞こえるか
神のためにひとつに集まろうとする
国々の声が聞こえるか
主に向かって新しい歌を歌え
地の果てから神を讃える歌を歌え
海に漕ぎ出す者よ、島々に住む者よ
神の御名を日の昇る国に宣言せよ
目を覚ませそして強くあれ
聖なる町エルサレムよ
埃を払い、立ち上がれ
首につながれた鎖から自らを解き放て
都に響く人々の声が聞こえるか
神殿から聞こえる人々の叫びが
それは敵に復讐を返す
神の歌声
主はその力をすべての国々に示された
地球上のすべての人々が神の救いを見る
大きな声を上げろ、決して止めるな
声を上げて、ギターをかき鳴らせ
牢獄につながれた者たちを解放し
すべての鎖をひきちぎれ
イエス・キリストの御名を日の昇る地に宣言せよ
[New Jerusalem]
日本に生きる信仰者として、私は時折、無力感に苛まれます。
日本は世界でも信仰が伝えられていない地域のひとつです。「魂的に無知」(spiritually ignorant)という表現がより正しいと感じています。
ビジネス優先のこの国において、私たちは単純に、生きていくために神を必要としません。
よく、私はどうやってこの国の人々に伝えていけばいいのか途方に暮れることがあります。
そんな時に、私はイザヤ書65章に書かれた言葉を読みました。そこには「わたしに尋ねようとしない者にも、わたしは、尋ね出される者となり、わたしを求めようとしない者にも見出される者となった」と書かれていました。
私は衝撃を受けて、神の力と偉大さを感じました。私は神を信じました。
新しいエルサレムとはどこのことでしょうか? 私はそれは、私たちがともに作り出す新しい世界ではないかと思います。
古代の人たちが京都に建設した平安京(エルサレム、という意味だそうです)のように、それは私たちの希望がある場所であり、そして私たちがいつも帰り着く場所です。
“New Jerusalem” 日本語訳
神は言う
私は私を尋ね求めない者にも尋ね出される者となり
私を探そうとしない者にも見出される者となった
私は私の名を呼ばない民にも、私はここにいる、と呼びかけ
私に逆らう民を受け入れるために一日中立って待っていた
終わりの日々には、主の神殿が立つ山は
山々の中で最も高くなり、人々は来て言うだろう
あの山に登り、ヤコブの神の家へ行こう
すべての教えはシオンから
神の言葉はエルサレムから来るのだから
エルサレムのために喜べ
祝って叫べ
彼女のために涙を流した者たち
今あなたたちは喜びに満たされる
神は言う
私は人々の心に私の教えを刻み付ける
そして私は彼らの神になり、彼らは私の民になる
もはや周囲の人に向かって神に従えと教える必要もない
なぜなら大きな者から小さな者まで、皆が私のことを知っているからだ
神は国と国との間の争い事を解決し
彼らはその剣を鍬や鋤に打ち替える
国が国に向かって剣を上げることはもうない
ヤコブの家よ、光の中を歩もう
見よ
神は新しい天と地を創る
喜べ
永遠に喜べ、エルサレムは喜びなのだから
人々の悲しみに泣く声が聞こえることはもうない
神は我々と共に居て、私たちの神となる
神は私たちの涙をすべてぬぐい去り
死も、悲しみも、嘆きももはやない
古きものはすべて過ぎ去ったのだから
書き記せ、これらの言葉は真実であり、信頼に値する
日本の歴史についてのコンセプトアルバムを作ることは、私たちにとって長年の夢でした。私たちはこのアルバムを可能にしてくれたすべての人たちにお礼を言いたいと思います。
この次。「Overture」を鳴らした後、私たちは「鍋島」モードに突入します。イマリトーンズによる究極の日本のクリスチャンメタルを、どうか楽しみにしていて下さい。